自己認識と自己創造

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どうも!玉置です!

旧暦での大晦日ということで、1年の振り返りを。

この1年で、自分は自己認識力がぐんと向上したような感覚があります。
自己認識とはその名の通り、自分を認識するという事なのですが、多くの人はこれができていない。

そもそも、
自分という人間を「1つの人格」として捉えるので無理な話である。

自分という人間にはいくつもの人格が存在していて、
それを否定しないところからではないと本当の自己認識には辿り着かない。

つまり、自分という存在への偏見や思い込み、洗脳を外さない限り、本当の意味での自己認識には辿り着かない。

そして、自分は武学の学びを通じて、多くの人と対人稽古をする中で悟ってきたのです。

「あ、自分っていっぱいいるんだ」って。

まず、その感覚を味わうことから始めました。
自分の人格は1つではなく、複数あって自分という存在を自分が一番よく理解できていないのかもしれない。と。
武学では、
必ず目の前の人を通して自分を認識します。

そうすると、
相対する相手に応じてさまざまな自分が現れることに氣付くのです。

それを否定しないようにすると、
どんどん可能性が開いていくのが分かったんです。

自分という人間を枠の中に閉じ込めていたのは自分だと悟ったからです。

つまり、自分という人間を…

全くフラットで、
ニュートラルで、
透明で、
公平で、
ありのままに認識することができれば、
そこには無とゼロと無限大の可能性しか存在しないということ。

ここで、ある疑問が生まれた。

自分という人間は何者なのか。
認識しようと思えば思うほど遠ざかっていく感覚。

しかし、武学の稽古をしていたらすぐに繋がった。
可能性が無限大であるということの本質は、創造なのだと。

要するに、
自分という人間はあくまで自分が勝手に「そうだ」と思い込んでいる自分を演じているのにすぎない。
逆に言えば、自分という人格はいくらでも創造できるのだということを。

これこそ、自己認識の先にある自己創造であり、
自分という人間を自由にデザインできるのである。

そして、その創造には「意志」が必要で「意志」を持つことで
今この瞬間から、何者にもなれるのである。

ここで、
同志の澤田さんの以前の投稿を引用させてもらいます。

実は、この度、澤田さんのニューアルバムがリリースとなり、
その中の楽曲「少年たちの終わらない夏」という曲で、
ピタゴラにてコラボさせてもらいました。

そんな澤田さんのアルバムのタイトルが「中今」

以下、引用。

 

中今とはこの瞬間。
しかし、「ほら、この瞬間!」と言ってるうちにその瞬間は過去のものです。

音楽は「時間のアート」。ですが、時間は時間のみでは存在しません。
いつも空間を伴って「時空」を創っています。

なので、流れる音楽はいろんな風景や想い、バイブレーションを伴って流れて広がります。
人それぞれ浮かぶ風景や、感じる想いは違っても、それで良いのです。正解などありません。

ただ、発信者は僕です。
僕がこれを心の底から表現したいと意志が音を発しようという瞬間、これが「中今」です。だから「中今」には意志が必要です。

これからも「中今」を意識して生きていきたい。

澤田さんのFB投稿より


自分が自分の人生を生きる上で、
最も重要なことの1つが「意志」です。

意志とは、
志の意識です。

「これを成し遂げたら死ねる」
というぐらい強烈で鮮烈で、熱狂できることを目指すこと。

どのような未来を創造したいのか。
そこに対して、どれだけの熱量を注げるのか。

今この瞬間、
身体が、魂が喜んでいるか、震えているか。

それこそが今を生きると言うことであり、
「中今」であり、そこに意志が宿ることで
創造が始まるのだと言うこと。

新しい年を迎えるにあたり、
今一度自分に問う。

どのような自分を創造しようか。

 

p.s.

澤田さんとピタゴラでコラボしました。

澤田さんのニューアルバム「中今」から「少年たちの終わらない夏」という曲のためにピタゴラ制作しました。

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