観自在の本質

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昨日はFBライブ配信にて「自己認識」と「自己創造」について話しました。

これは昨年から深まった、武学始めてから最大の氣付きであり、対人稽古を深めていく意義であり、本質である部分。

師匠であるレノンリー先生が、
なぜ「色々な人と稽古しましょう」と言っていたのか、その本質が身体を通して理解できてきました。

目の前の人との稽古によって、
自分の内側のエネルギーの微細な変化を認識する。

その対人関係の中で起こるエネルギーの変化を認識することが自己認識の本質であり、対人関係なしにはなし得ないこと。

そして、目の前にいる人によって変化するエネルギーこそが、自分の本体であり、100人いたら100人の自分と出逢うことになる。

その出逢いこそが一期一会であり、
その出逢いこそが自分探しの本質であり、
100人の自分と出逢うことで自己認識の先へ感覚が向かう。

それこそ、自己創造であり、自分を創るという創造主的視点に立つのである。

「自分が自分を創る?」

そう、創造主としての見えない自分が物質界にいるこの自分を創造する。

その感覚の根拠は、
100人と稽古して相対的に変化する自分を認識することによって得られた、「自分なんてない」という強烈な衝撃と感動。

この感覚によって得られた
「自分なんていくらでも創れるじゃん」という氣付き。

そして、自分の志成就のために自己創造し、
世界をより面白くしていくのだ。

この一本の線でつながったような感覚は
思考ではなく、体感覚があるからこその氣付きであり、自分だけの宝物。

武学を続けてきて良かったと心の底から感謝しています。
ありがたい限りです。

観自在の本質

人は観たいように世界を観ている。

これは一見すると、「そうだよな」という理解で終わってしまいます。

しかし、その本質は「自分を創りたいように創っている」ということに帰結するするように感じるのです。

それは100人と稽古した時に現れる100人の自分のように、「あるようでない」「ないようである」からです。

それが「空」であり「ゼロ」であり、創造の本質なのではないか。

 

観自在。

自在とは、自が在ると書きます。

自とは宇宙そのものであり、その自から分たれたのが自分である。

自在とは、思うままにできることであり、まさに創造そのものである。

 

そして、この世界を観る主体者である自分さえも創造することができるということが、観自在の本質ではなかろうか。

 

この仮説を検証するための稽古がまた始まる。

コメント

  1. 水野肇 より:

    素晴らしい内容ありがとうございます。

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