なぜ洋服を着るのか?
なぜ和服を着ないのか?
最近、ちょくちょく作務衣(和服)を着て出歩くことが増えてきて、考えることが多い。
僕は生まれてからずっと洋服をメインで着て育ってきた。
では・・・
「自分はなぜ洋服を着て生きてきたのか?」
西洋から入ってきた衣服だから洋服。
では、なぜそれを着ているのか?
そこに、まったく主体性がなかったことに氣付いた。
親から洋服を着せられ、いつの間にか洋服で出歩くことが普通になってきた。
そしてそれがいつしか無意識になる。
恐らく、日本人のそういった無意識の集合体が集合的無意識となり、洋服を着るという行為を無意識で行っている氣がする。
もちろん、そこに主体性はない。
これって、洗脳ではないのか。
そんな氣がして身震いがした。
そこから、着る服を選ぶ時に、主体性を持って「選ぶ」という意識を持つようになった。
すると、洋服よりも和服(作務衣)を着てる時の方が、自分らしくいられるような感覚があった。
それは、洋服を着ることで押し殺していた自分が解放される感覚。
そして、靴もそう。
なぜ靴を履くのか?
・・・
理由もなく、靴を履いていたことに氣付いた。
そこにも主体性はない。
だから、最近ペタペタと雪駄を履いて出かけることが多くなった。なぜならそっちの方が自分らしくいられる感覚があるから。
別にみんなで和服を着よう!とは言わないけど、
せめて「なぜ洋服を着ているのか?」という疑問に明確に答えられるように在りたいと感じた。
コメント